猛スピードで母は (文春文庫)
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主人公は少年少女ですが、主役はその親だったり親の周りにいる人たちです。離婚をした、あるいはする、再婚をする、しない、そんな「大人の事情」を抱えた当人と、その「事情」を構成する人物たち。彼らの心情や、彼らだけの行動はほとんど出てきません。あくまでも第三者的な書き方ですが、目線はあくまでも子どものもの。そこから見えるもの、見える「事情」しか書かれていない。だから本当のところはどうなのか、読者にもわかりません。が、当の子どもたちにも「見えない」ものであるので、知らなくて当然というか、知る必要を感じないというか...
時代設定もよく分からないところはありますが、おそらく著者の子どもの頃の設定かと思われます。自分とは5年違いなのでおそらく幼いころの環境は近いものがあるのではと思われますが、そのころの子どもたちは、次の親世代になってきているわけです。故に、「当時の」子どもとしての読み手と、「今現在の」親としての読み手という、読み手側が時制を二つ持ちながら読み進める感覚になりますね。これが「不思議な読後感」をもたらす理由のひとつかもしれません。
もしかしたら自分が子どもだったころ、両親にもいろいろな「事情」があったのかもしれません。それを感じずに、いや、もしかしたら感じていたけれども感じていないようにふるまっていたのかもしれませんが...なんとなく(けして何か大きな事件があったわけではないのですが)そのころの両親のことを考えてしまったりしました。そして今は親の立場で、子どもたちが何を感じているのか、どこまで「事情」を話すのか、いつ話すのか、そんなことも出てくるかもしれません。
いずれの作品も、そこに登場する「事情を抱えた」女性たちが、非常に魅力的です。対して男性はさっぱり魅力が描かれていません。心理描写があるのは子どもだけですが、登場人物が「わけあり」を抱える中で動いています。人がいる、人しかいない。そんな小説だったような気が今、改めてしてきました。「賞」というカタチに惑わされているところはあるのですが、素直に読んで、なんとなく記憶に残る...そんなものでいいのかもしれません。こどもの心理描写、これって(考えてみれば)スーッと心に入ってくるような書き方って、結構難しいものかもしれませんね。忘れている感覚、だし。
【ことば】「あんたはなんでもやりな。私はなにも反対しないから」
おそらく自分は「反対」されたこともあったであろう母親が言った言葉。その通りに受け取ることはできない場面もあろうが、親ってのは子どもに対しては「可能性」を認め、なんでも受け入れたい、そんな気持ちでいるものだ。子どもに対して思っていることはたくさんあるが、それを口に出すのは、それなりの「本気」である時だよね。