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📝 レビュー (あおみさんのレビュー)
評価:
5/5
レビュー:
やはり、私の敬愛する伊坂幸太郎 氏はいつもエグいテーマを取り上げる。
本作の主人公は、唯一無二の娘を殺された山野辺夫妻。そして犯人は、二十五人に一人の良心を持たない人間、いわゆる「サイコパス」である本城崇。
常軌を逸した行動と思考。そして、相手を弄ぶことに天才的才能を持っている。彼らは、他人を支配することが、とどのつまり生きることとでも言うように、自然と、そう睡眠や食事のように、相手の最も嫌がることを考え、それを実行する。
読んでいても最早、嫌悪感すら抱かない。ただ関わりたくないというか自身の周囲に存在して欲しくないと切に願うばかりだった。
しかしここにある一人の人物?が登場することで重く沈んだ空気が一変する。
彼こそが死神の千葉である。
音楽をこよなく愛し、会話では少しずれた返答をし、疲れを知らず、大変耳がよく、いつも何事に対しても興味のないようであるが、物事の核心は心得ているかのような男。
本城に対して激しい復讐心を抱き、殺害計画を企む山野辺夫妻の元に、千葉が現れて以降、山野辺夫妻の日常は激変する。
的のずれた返答や、のんびりとした行動が彼らに笑顔を与え、人間味と感情を蘇らせた。
間違いなく、彼らは千葉によって救われていた。
しかし決して、大団円でないのも伊坂作品の特徴である。本城に対して復讐を果たせたのだから、その努力に敬意を払って、山野辺に対する千葉の審査を「可」にしなくてもいいのでは、と考えたが、そうはいかなかった。
千葉はあくまで死神で、山野辺の元に現れたのは仕事で、協力したのも音楽が聴きたかったから。
人間味がなくて当然なのである。
しかし、千葉の最後の言葉が、彼も少なからず山野辺と過ごした7日間を「楽しんでいた」ことを物語っている。
「晩年もよかったぞ」
本作では、良い意味でも悪い意味でも、「死」について考えることができる。
もしかしたら山野辺の父が言ったかのように、「それほど怖いものでもない」かもしれない。
なぜなら世の中に絶対と言い切れるものはないと言われる中で、「人はいつか死ぬ」ことは絶対だからだ。
地球に生きる全員に対して、形は違えど平等に死は訪れる。それならばそれほど、特別視しなくていいのではないか、怖がらなくていいのではないかと言うのだ。
そこで山野辺が言う。
「死ぬことが絶対と言うなら、逆に考えれば、人間は絶対に誕生する」
死というものに対して光が見えたような気がして、私は微笑んだ、と思う。
しかしながら、反対の考え方もある。
死ぬことは誰かを悲しませる行為であり、残された者はその死によって新しい死を産むかもしれない、という考えだ。
これも共感できる。
本作のテーマである子どもの死は、親に対して計り知れない絶望と怒りを押し付ける。実際はこんな稚拙な言葉では表現できない、雑然とした感情だろう。
だからこそ、私は絶対に死ねない、と再認識した。自分の死によって誰かを悲しませることはできないし、したくない。
死んでいるから謝ることもできないなんて、本当に辛すぎる。
こうしていると死はやはり消極的なものなのだと感じてしまう。
しかし、やはり死から零れる光というものも期待したい。
でも、死ぬのは怖い。
しかし、、、
ただ一つ言えることは、死を恐れながらも、それまでの日々を摘んで生きていきたい、ということだ。
楽しく生きて、したいことをして、時にはしたくないことをして、苦しんで、もがいて、笑って、最期を迎えれば、それが最大の幸せなのかもしれない。
本作の主人公は、唯一無二の娘を殺された山野辺夫妻。そして犯人は、二十五人に一人の良心を持たない人間、いわゆる「サイコパス」である本城崇。
常軌を逸した行動と思考。そして、相手を弄ぶことに天才的才能を持っている。彼らは、他人を支配することが、とどのつまり生きることとでも言うように、自然と、そう睡眠や食事のように、相手の最も嫌がることを考え、それを実行する。
読んでいても最早、嫌悪感すら抱かない。ただ関わりたくないというか自身の周囲に存在して欲しくないと切に願うばかりだった。
しかしここにある一人の人物?が登場することで重く沈んだ空気が一変する。
彼こそが死神の千葉である。
音楽をこよなく愛し、会話では少しずれた返答をし、疲れを知らず、大変耳がよく、いつも何事に対しても興味のないようであるが、物事の核心は心得ているかのような男。
本城に対して激しい復讐心を抱き、殺害計画を企む山野辺夫妻の元に、千葉が現れて以降、山野辺夫妻の日常は激変する。
的のずれた返答や、のんびりとした行動が彼らに笑顔を与え、人間味と感情を蘇らせた。
間違いなく、彼らは千葉によって救われていた。
しかし決して、大団円でないのも伊坂作品の特徴である。本城に対して復讐を果たせたのだから、その努力に敬意を払って、山野辺に対する千葉の審査を「可」にしなくてもいいのでは、と考えたが、そうはいかなかった。
千葉はあくまで死神で、山野辺の元に現れたのは仕事で、協力したのも音楽が聴きたかったから。
人間味がなくて当然なのである。
しかし、千葉の最後の言葉が、彼も少なからず山野辺と過ごした7日間を「楽しんでいた」ことを物語っている。
「晩年もよかったぞ」
本作では、良い意味でも悪い意味でも、「死」について考えることができる。
もしかしたら山野辺の父が言ったかのように、「それほど怖いものでもない」かもしれない。
なぜなら世の中に絶対と言い切れるものはないと言われる中で、「人はいつか死ぬ」ことは絶対だからだ。
地球に生きる全員に対して、形は違えど平等に死は訪れる。それならばそれほど、特別視しなくていいのではないか、怖がらなくていいのではないかと言うのだ。
そこで山野辺が言う。
「死ぬことが絶対と言うなら、逆に考えれば、人間は絶対に誕生する」
死というものに対して光が見えたような気がして、私は微笑んだ、と思う。
しかしながら、反対の考え方もある。
死ぬことは誰かを悲しませる行為であり、残された者はその死によって新しい死を産むかもしれない、という考えだ。
これも共感できる。
本作のテーマである子どもの死は、親に対して計り知れない絶望と怒りを押し付ける。実際はこんな稚拙な言葉では表現できない、雑然とした感情だろう。
だからこそ、私は絶対に死ねない、と再認識した。自分の死によって誰かを悲しませることはできないし、したくない。
死んでいるから謝ることもできないなんて、本当に辛すぎる。
こうしていると死はやはり消極的なものなのだと感じてしまう。
しかし、やはり死から零れる光というものも期待したい。
でも、死ぬのは怖い。
しかし、、、
ただ一つ言えることは、死を恐れながらも、それまでの日々を摘んで生きていきたい、ということだ。
楽しく生きて、したいことをして、時にはしたくないことをして、苦しんで、もがいて、笑って、最期を迎えれば、それが最大の幸せなのかもしれない。
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