
みんなの評価
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5
4
3
2
1
レビュー

世の中というものは、周り続けて、自分がどっちを向いているのかわからなくなっているのが、いまの世間というものだ。こういう時、自分だけ回るのをやめると世人からは変人扱いされる。別に変人扱いされたところで私はなんら痛痒を感じないが、細君には迷惑を掛けたくないので、とりあえず一緒に回ることにしている。きっと世のほとんどの人間がそうやってぐるぐるぐるぐるやっている。いろんな不満や不安を抱えながら、ぐるぐるぐるぐるやっている。
しかし、やはり人にはそれぞれの役割といったものがあるのだろう。たとえ変人呼ばわりされたところで、私にはこの生き方しかできなかったのである。
五里霧中とはこのことか。人生とは晴れぬ霧に包まれた手探りの放浪にほかならぬ。
智に働けば角がたつ、情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
まことに、人の世は住みにくい。
「世人がなにをぼやこうが、我々はひとつ確かなことを知っている。あそこに住まう人々が皆一様に、懸命に生きようとしている人々だということだ。無論、我々も含めてな」
御嶽荘は不思議な空間である。まるで世の中に適合しきれなくなった人々が、さまよい歩いた先に見つけた駆け込み寺のような様相が確かにある。だが、寺と大きく違うことは、訪れた人々はけして世を儚んで出家などせぬということだ。彼らは再び世の中という大海原に向けて船を出す。難破を恐れて孤島に閉じこもる人々ではない。生きにくい世の中に自分の居場所を見つけるために何度でも旅立つ人々だ。そういう不器用な人々を奇人と噂するのは、生きることの難しさを実感したことのない凡愚の妄言である。
誰もが皆、誇り高き路傍の人なのだ。
支離滅裂
人は機械ではないのだ
すいません、ドクトル、私は…
かまわぬ。生きている。そこに意義がある。
食事が終わって箸をおいた時、あの人は言ったんです。すまんなって。たった一言がびっくりするくらい嬉しくて、私はもう何度も頷いたものです。この人の生き方は間違っていないんだって。ついていこうって。
今はまだ、私の人生の夜明け前なのだ。
明けない夜はない。止まない雨はない。そういうことなのだ、学士殿。
でもきっと、見てくることは大事なことなのでしょう?一度見て、それから決めればよいではありませんか。
ハルはいつでも前向きだな。
人生の岐路というものは、いつでも急に目の前に現れて人を動揺させる。
いつまでも住み続ける環境ではなかろうが、だからと言って自分が何をなすべきか結論は出ず、いまだ前途は茫洋たる霧に包まれて判然としない。
やれやれ。
ひとりが全部できる必要はないでしょう。人には向き不向きというものがあるのですから。
ただでさえ医者が足りねえご時世だ。それがこぞって最先端医療に打ち込んだら、誰が下町の年寄りたちを看取るんだ?俺たちはそれをやっている。
現代の驚異的な技術を用いて全ての医療を行えば、止まりかけた心臓も一時的には動くであろう、呼吸が止まっていても酸素を投与できるであろう。しかしそれでどうするのか?心臓マッサージで肋骨は全部折れ、人工呼吸の機械で無理やり酸素を送り込み、数々のチューブにつないで、回復する見込みがない人に、大量の薬剤を投与する。結果、心臓が動いている期間が数日のびることはあるかもしれない。だが、それが本当に生きるということなのか?孤独な病室で、機械まみれで呼吸を続けるということは悲惨である。
命の意味を考えもせず、ただ感情的に全ての治療をと叫ぶのはエゴである。
病むということは、とても孤独なことです。病の人にとって、もっとも辛いことは孤独であることです。
まあいい。これが私の選んだ道というものだ。人には向き不向きというものがある。患者たちの笑顔を見ているのが楽しいと感じるのであるから、私にはこういう医療が向いているのであろう。とりあえず萎れそうになる我が心にそう言い聞かせてみた。
私は唐突に確信した。
これでよいのだ。
思えば人生なるものは、特別な技術やら才能やらをもって魔法のように作り出すものではない。
人が生まれ落ちたその足元の土くれの下に、最初から埋もれているものではなかろうか。
私にとって、それは最先端の医療を学ぶことではなく、安曇さんのような人々と時間を過ごすことであり、ひいては、細君とともにこの歩みを続けることだ。
当たり前のように、ずっと以前から結論はそこにあったのだ。
迷うた時にこそ立ち止まり、足下に槌をふるえばよい。さすれば、自然そこから大切なものどもが顔を出す。
惑い苦悩した時にこそ、立ち止まらねばならぬ。
川を堰き止め山を切り崩して猛進するだけが人生ではない。そこかしこに埋もれたる大切なものどもを、丁寧に丁寧に掘り起こしてゆくその積み重ねもまた人生なのだ。
長い人生だ。いずれまた道を見失い戸惑う時もくるであろう。右往左往して駆け回り、瑣事にとらわれて懊悩することもあるであろう。そんな時こそ、立ち止まり胸を張って槌を振り上げよ!足下の土に無心に鑿をくわえよ!慌てずともよい。
答えはいつもそこにある。
しかし、やはり人にはそれぞれの役割といったものがあるのだろう。たとえ変人呼ばわりされたところで、私にはこの生き方しかできなかったのである。
五里霧中とはこのことか。人生とは晴れぬ霧に包まれた手探りの放浪にほかならぬ。
智に働けば角がたつ、情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
まことに、人の世は住みにくい。
「世人がなにをぼやこうが、我々はひとつ確かなことを知っている。あそこに住まう人々が皆一様に、懸命に生きようとしている人々だということだ。無論、我々も含めてな」
御嶽荘は不思議な空間である。まるで世の中に適合しきれなくなった人々が、さまよい歩いた先に見つけた駆け込み寺のような様相が確かにある。だが、寺と大きく違うことは、訪れた人々はけして世を儚んで出家などせぬということだ。彼らは再び世の中という大海原に向けて船を出す。難破を恐れて孤島に閉じこもる人々ではない。生きにくい世の中に自分の居場所を見つけるために何度でも旅立つ人々だ。そういう不器用な人々を奇人と噂するのは、生きることの難しさを実感したことのない凡愚の妄言である。
誰もが皆、誇り高き路傍の人なのだ。
支離滅裂
人は機械ではないのだ
すいません、ドクトル、私は…
かまわぬ。生きている。そこに意義がある。
食事が終わって箸をおいた時、あの人は言ったんです。すまんなって。たった一言がびっくりするくらい嬉しくて、私はもう何度も頷いたものです。この人の生き方は間違っていないんだって。ついていこうって。
今はまだ、私の人生の夜明け前なのだ。
明けない夜はない。止まない雨はない。そういうことなのだ、学士殿。
でもきっと、見てくることは大事なことなのでしょう?一度見て、それから決めればよいではありませんか。
ハルはいつでも前向きだな。
人生の岐路というものは、いつでも急に目の前に現れて人を動揺させる。
いつまでも住み続ける環境ではなかろうが、だからと言って自分が何をなすべきか結論は出ず、いまだ前途は茫洋たる霧に包まれて判然としない。
やれやれ。
ひとりが全部できる必要はないでしょう。人には向き不向きというものがあるのですから。
ただでさえ医者が足りねえご時世だ。それがこぞって最先端医療に打ち込んだら、誰が下町の年寄りたちを看取るんだ?俺たちはそれをやっている。
現代の驚異的な技術を用いて全ての医療を行えば、止まりかけた心臓も一時的には動くであろう、呼吸が止まっていても酸素を投与できるであろう。しかしそれでどうするのか?心臓マッサージで肋骨は全部折れ、人工呼吸の機械で無理やり酸素を送り込み、数々のチューブにつないで、回復する見込みがない人に、大量の薬剤を投与する。結果、心臓が動いている期間が数日のびることはあるかもしれない。だが、それが本当に生きるということなのか?孤独な病室で、機械まみれで呼吸を続けるということは悲惨である。
命の意味を考えもせず、ただ感情的に全ての治療をと叫ぶのはエゴである。
病むということは、とても孤独なことです。病の人にとって、もっとも辛いことは孤独であることです。
まあいい。これが私の選んだ道というものだ。人には向き不向きというものがある。患者たちの笑顔を見ているのが楽しいと感じるのであるから、私にはこういう医療が向いているのであろう。とりあえず萎れそうになる我が心にそう言い聞かせてみた。
私は唐突に確信した。
これでよいのだ。
思えば人生なるものは、特別な技術やら才能やらをもって魔法のように作り出すものではない。
人が生まれ落ちたその足元の土くれの下に、最初から埋もれているものではなかろうか。
私にとって、それは最先端の医療を学ぶことではなく、安曇さんのような人々と時間を過ごすことであり、ひいては、細君とともにこの歩みを続けることだ。
当たり前のように、ずっと以前から結論はそこにあったのだ。
迷うた時にこそ立ち止まり、足下に槌をふるえばよい。さすれば、自然そこから大切なものどもが顔を出す。
惑い苦悩した時にこそ、立ち止まらねばならぬ。
川を堰き止め山を切り崩して猛進するだけが人生ではない。そこかしこに埋もれたる大切なものどもを、丁寧に丁寧に掘り起こしてゆくその積み重ねもまた人生なのだ。
長い人生だ。いずれまた道を見失い戸惑う時もくるであろう。右往左往して駆け回り、瑣事にとらわれて懊悩することもあるであろう。そんな時こそ、立ち止まり胸を張って槌を振り上げよ!足下の土に無心に鑿をくわえよ!慌てずともよい。
答えはいつもそこにある。
成程。医療系であるにも関わらず作品全体に温かみがあって、テンポもよく読みやすいが中味はしっかりとした人情物語が展開されるとあっては2010年本屋大賞第2位ってのも実にうなずける。
ちょっと変わり者の医師だけど、何故か患者から好かれる古風な言葉遣いの主人公 一止は一味あって面白味があるし、この口調と風景描写などが作品の内容とも相成って軟らかさと温かみを醸し出している。この作風が持ち味となるのか、本シリーズ以外の次回作が楽しみな作家だ。
舞台は365日、24時間、いつでも患者を受け入れるが故に慢性的に過酷な勤務体制が続く地元の基幹病院。医局制度という多くの医者が通る道筋をあえて避け、舞台である地方病院で患者のために常に現場を走り回る一止は大学病院からの誘いによって医師として自分の有り方を考えていくこととなる。一止の思い悩む過程で地域医療の現状を提示しているだが、そういった医療現場の実情・問題と向き合ってるって部分ではある意味、海堂さんの桜宮サーガにも通じる部分があるのかと。。。本作の著者である夏川さんも現役医師で医療現場の実情を良く知る人物としての問題提議だろうし…
ただ、桜宮サーガが対医療行政へと向かっている傾向とは異なり、本作ではあくまでも患者にとっての医療といった観点を重視しているように見受けられる。
どちらが良い・悪いとかではなく、本作は患者や友人・同僚といった人と人との繋がりから医師としての本質を見返している部分が好ましく、またそれが小説という物語の中で人情モノの側面としても成り立っているのが素晴らしいバランスだったんじゃないかと思う。
まぁ、本作は自己欲が強くて腹黒いキャラクターみたいなのが出てこない医療系小説とあって、若干ファンタジーとも思えてしまう部分はあるものの、人と命の温かみを感じながらも地域医療について考えさせる希有な作品であることは間違い無い!
ちょっと変わり者の医師だけど、何故か患者から好かれる古風な言葉遣いの主人公 一止は一味あって面白味があるし、この口調と風景描写などが作品の内容とも相成って軟らかさと温かみを醸し出している。この作風が持ち味となるのか、本シリーズ以外の次回作が楽しみな作家だ。
舞台は365日、24時間、いつでも患者を受け入れるが故に慢性的に過酷な勤務体制が続く地元の基幹病院。医局制度という多くの医者が通る道筋をあえて避け、舞台である地方病院で患者のために常に現場を走り回る一止は大学病院からの誘いによって医師として自分の有り方を考えていくこととなる。一止の思い悩む過程で地域医療の現状を提示しているだが、そういった医療現場の実情・問題と向き合ってるって部分ではある意味、海堂さんの桜宮サーガにも通じる部分があるのかと。。。本作の著者である夏川さんも現役医師で医療現場の実情を良く知る人物としての問題提議だろうし…
ただ、桜宮サーガが対医療行政へと向かっている傾向とは異なり、本作ではあくまでも患者にとっての医療といった観点を重視しているように見受けられる。
どちらが良い・悪いとかではなく、本作は患者や友人・同僚といった人と人との繋がりから医師としての本質を見返している部分が好ましく、またそれが小説という物語の中で人情モノの側面としても成り立っているのが素晴らしいバランスだったんじゃないかと思う。
まぁ、本作は自己欲が強くて腹黒いキャラクターみたいなのが出てこない医療系小説とあって、若干ファンタジーとも思えてしまう部分はあるものの、人と命の温かみを感じながらも地域医療について考えさせる希有な作品であることは間違い無い!

かなり話題になった本で、ドラマ(?)にもなったよう。映像は見ていないので先入観なしに読み始める。タイトルから容易に想像できるが「医者」が主人公である。前半中盤にかけては「神様の」という意味合いは出てこない。かなり個性的なキャラクターの主人公である。夏目漱石を敬愛して話し方も古臭い...ってなかなか小説に用いるのに出てくるアイデアではないよなあ、ってヘンなところに感心。
主人公は、田舎の病院に勤める若い医者。「24時間365日」という崇高なビジョンを掲げた病院で働くが、「理想と現実」はどこにでもある話で、そこで「24時間365日」働く側としては、過酷な環境。その環境に対しては違和感を持ちつつも、また、「もっと楽であろう」大学病院への誘いとの選択に悩みつつも、職場の仲間、住居(集合住宅みたいなもの)の仲間とのやり取りの中で、また当然に「仕事」を通じて、何が本質であるのかを見つけていく、という内容。
登場人物や背景については、「漱石」流になっていたり、消化器系の専門で、アルコール依存症の患者対応をしつつも、自身も「お酒大好き」なところがあったり、医者という側面と、個人としての側面が、離れているようで一致する方向に進むようで、コミカルに描かれている展開が心地よい。 過酷な勤務をこなし、その環境に必ずしも満足していないように見えつつも、「職務」については真剣であること。その「熱さ」故に、周囲から変人扱いされながらも、「自分のコア部分」を強くもっていて、前を見る視点にぶれがない。その中で、最後には、見つけるんですね。自分にとっての「方向」を。
小説の中ではあるけれども、こんなキャラクターに好意を抱くのは当然かもしれない。医者を職業にしていてもその中でいろいろな選択肢はある。「医学」を極める人もいるだろうし、目の前の苦しんでいる人を(たとえ自分の専門外でも)助けることに生きがいを感じる人も。それを最後に選択する。悩んだ末、というよりは、諸々の「事件」を経験する中で、自然と選択が固まったのだろうし、そもそも自分の中にあった結論を肉付けして表出しただけのような気もする。
そして、意外にも(想定していませんでしたが)、泣ける場面がありました。正確にいえば、涙がでてきてしまった場面が。電車の中でしたが耐えきれかなった。それくらいのめり込めるストーリーなのです。
専門的にみれば、地方の医者不足や、医療全体の問題、もっといえば「命の問題」も含めて、結構「重たい」テーマなのかもしれないが、キャラクターの設定もあってか、軽快で読みやすい。ドラマ化されるだろうなあ、っていうノリでもあるが、若い人も、若い「と思っている」人も受け入れられる内容です。
主人公は、田舎の病院に勤める若い医者。「24時間365日」という崇高なビジョンを掲げた病院で働くが、「理想と現実」はどこにでもある話で、そこで「24時間365日」働く側としては、過酷な環境。その環境に対しては違和感を持ちつつも、また、「もっと楽であろう」大学病院への誘いとの選択に悩みつつも、職場の仲間、住居(集合住宅みたいなもの)の仲間とのやり取りの中で、また当然に「仕事」を通じて、何が本質であるのかを見つけていく、という内容。
登場人物や背景については、「漱石」流になっていたり、消化器系の専門で、アルコール依存症の患者対応をしつつも、自身も「お酒大好き」なところがあったり、医者という側面と、個人としての側面が、離れているようで一致する方向に進むようで、コミカルに描かれている展開が心地よい。 過酷な勤務をこなし、その環境に必ずしも満足していないように見えつつも、「職務」については真剣であること。その「熱さ」故に、周囲から変人扱いされながらも、「自分のコア部分」を強くもっていて、前を見る視点にぶれがない。その中で、最後には、見つけるんですね。自分にとっての「方向」を。
小説の中ではあるけれども、こんなキャラクターに好意を抱くのは当然かもしれない。医者を職業にしていてもその中でいろいろな選択肢はある。「医学」を極める人もいるだろうし、目の前の苦しんでいる人を(たとえ自分の専門外でも)助けることに生きがいを感じる人も。それを最後に選択する。悩んだ末、というよりは、諸々の「事件」を経験する中で、自然と選択が固まったのだろうし、そもそも自分の中にあった結論を肉付けして表出しただけのような気もする。
そして、意外にも(想定していませんでしたが)、泣ける場面がありました。正確にいえば、涙がでてきてしまった場面が。電車の中でしたが耐えきれかなった。それくらいのめり込めるストーリーなのです。
専門的にみれば、地方の医者不足や、医療全体の問題、もっといえば「命の問題」も含めて、結構「重たい」テーマなのかもしれないが、キャラクターの設定もあってか、軽快で読みやすい。ドラマ化されるだろうなあ、っていうノリでもあるが、若い人も、若い「と思っている」人も受け入れられる内容です。
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