📝 レビュー (諸書劄記さんのレビュー)
評価:
5/5
レビュー:
原書は、平成3年(1991)に浙江省少年児童出版社より出版せられた、龔延明 編『絵画本 中国通史』である。体裁としては、王朝毎に時代を区分して、各時代毎に政治・経済・科学技術・文化・社会生活の五つに分けて叙述してゐる。
原書編者曰く、合はせれば通史となり、分ければ断代史となる、との由。
監修者の岡田英弘は、正史とは、皇帝支配の正当性の証明の歴史であり、民国以降を記してゐない本書も亦、皇帝の歴史を語る伝統的な正史に属すると評価する。 本書を見るに、華人は『史記』の枠組みから脱してゐないとかや、華人にとって歴史とは政治に奉仕すべきものであって其歴史は単純な事実の記録ではなく政治的立場の主張であるなどと、岡田節が炸裂してゐる。
原書編者曰く、合はせれば通史となり、分ければ断代史となる、との由。
監修者の岡田英弘は、正史とは、皇帝支配の正当性の証明の歴史であり、民国以降を記してゐない本書も亦、皇帝の歴史を語る伝統的な正史に属すると評価する。 本書を見るに、華人は『史記』の枠組みから脱してゐないとかや、華人にとって歴史とは政治に奉仕すべきものであって其歴史は単純な事実の記録ではなく政治的立場の主張であるなどと、岡田節が炸裂してゐる。
読書履歴
2025/11/25
532ページ
読了
2025/11/25
521ページ
p518-521 韓非秦王に招聘せらるるも同窓李斯に欺かれて獄に下り死しき。
2025/11/25
512ページ
p509-512 墨子楚に宋侵攻を思止めしめむが為に、攻城雲梯を造りし大工公輸般と机上演習を行ひ、之に勝ちて宋攻略を思断たしむ。
2025/11/25
495ページ
p495 秦中華を統一するを得き。
2025/11/25
490ページ
p490 燕刺客荊軻を以て秦嬴政を葬らむとす。荊軻出立に詠ずらく「風蕭々として易水寒し 壮士一たび去りて復還へらず」と。
2025/11/25
484ページ
p482-484 秦国「遠交近攻」策の下に三晉の趙を攻む。窮地の趙は平原君を楚へ救援を請ひに遣はす。楚王との交渉停滞するに、平原君の客分毛遂、剣を王に向け辯を振ひて聯盟を取付くるを得き。
2025/11/25
478ページ
p472-478 斉即墨の将軍田単、城市を堅守し、火牛之計を以て斉を亡国の際より救ひき。
2025/11/25
471ページ
p469-471 燕昭王の間者蘇秦、斉に暗躍しき。
2025/11/25
467ページ
p467 孟嘗君の函谷関抜けに際しての鶏鳴狗盗の故事。
2025/11/25
465ページ
p460-465 秦相国孟嘗君の食客馮驩、債権書を焚きて「義」を買ひき。
2025/11/25
457ページ
p453-457 秦賢臣張儀の策謀に依りて斉楚合従を破綻せしめき。
2025/11/25
450ページ
p450 秦を盟主とする連衡と対秦聯合の合従との成立により同盟を主とする情勢に転じにき。
2025/11/25
449ページ
447-449 馬陵の戦、孫臏自軍の竈の数を減じて総数を偽り、馬陵にて因縁の龐涓を敗りき。
2025/11/25
445ページ
p443-445 同学龐涓に欺かれし孫臏、斉の軍師となる。
2025/11/14
443ページ
p441-443 斉国燕の内訌に附入りて侵寇しき。子之肉醬にせられき。燕昭王立ち、斉を深く恨む。復讐の為に復興を決し、人を求むる策を廷臣郭隗に問ふに、郭隗「隗より始めよ」と。
2025/11/14
440ページ
p440 燕王噲、賢を好みて相国子之に禅譲すれども、却りて国政動揺しにき。
2025/11/14
437ページ
p437 趙武霊王、叔父公子成に説きしく「古今俗を同じくせず、何の古にか之法らむ」と。
2025/11/14
436ページ
p434-436 趙武霊王の胡服騎射。趙王臣下の躊躇反発するを憂ふるに重臣肥義対へて曰ひしく「臣之を聞く、疑事は功無く、疑行は名無し、と。今、王、即ち俗を遺つるを負ふの慮を定め、殆ど天下の議を顧みる毋かれ。夫れ至徳を論ずる者は、俗に和せず、大功を成す者は、衆に謀らず。昔、舜は有苗に舞ひ、而して禹は袒して裸国に入りしは、以て欲を養ひて志を楽しましめむと するに非ざるなり、以て徳を論じて功を要めむと欲したるなり。愚者は成事に闇く、智者は未萌に見る。王其れ遂に之を行へ。」と。
2025/11/14
434ページ
p443-434 商鞅讒舌を蒙り戮せられき。
2025/11/14
431ページ
p431 商鞅の移木之信。是を以て蒼生に法令を信ぜしむ。
2025/11/14
430ページ
p428-430 商鞅変法。仁礼に基づく帝道に代へて政道を説くに覇道を以てす。秦孝公之と語ること数日なるも厭かずと。商鞅曰しく「世を治むるの道は一道ならず、国に便なれば古に依らず。故に湯武は古に循はずして王たり、夏殷は礼を易えずして亡べり。古に反する者も非とす可からずして、例に循ふ者も多とするに足らず」と。
2025/11/12
427ページ
2025/11/12
426ページ
p425-426 斉威王人を遣はして二人の地方官の世評と実情との違へたるを知り、良吏即墨の大夫を褒め、佞吏阿の大夫を戮しき。
2025/11/12
424ページ
p422-424 鄒忌琴を弾かぬを以て斉威王に諫言しき。
2025/11/12
420ページ
p416-420 楚悼王の求めに応じ呉起変法を図るも守旧派貴族に阻まれき。
2025/11/12
409ページ
p409 晉国卿大夫韓家・趙家・魏家に分割せられ滅びき。
2025/11/11
407ページ
2025/11/11
400ページ
p400-401 斉太史、一命を賭して史書に記ししく「崔杼弑其君 」と。暴力に屈せず、事実を枉げざりき。
2025/11/11
389ページ
p389 孔子門人子貢は当時有数の私商なりき。有り余る財力以て諸国を遊説し、諸侯に重用せられきと。
2025/11/11
378ページ
p382 越臣范蠡、文種に曰ひしく、「飛鳥尽きて良弓蔵され、狡兎死して走狗烹らる」と。後に功臣文種謀反の咎に死禍を被りき。
2025/11/11
378ページ
p378 呉賢臣伍子胥、讒言の故に不辜にして殺さる。
2025/11/11
377ページ
p373-377 呉王夫差の臥薪・越王勾踐の嘗胆。
2025/11/11
369ページ
p366-369 孫武、呉王闔閭に請はれて宮女をして操兵せしめき。
2025/11/11
362ページ
p362 宋大夫向戌提唱の弭兵之会に依る中原休戦。
2025/11/11
359ページ
p359 楚荘王の問鼎軽重に周使王孫満治天には有徳を要すと答へき。
2025/11/11
357ページ
p357 楚荘王の「三年不蜚、蜚將衝天。三年不鳴、鳴將驚人。」の故事と賢臣伍挙・蘇従の諫言と。
2025/11/01
355ページ
2025/11/01
354ページ
p354 秦穆公の奇襲に際して鄭商人弦高一計を案じて祖国を救ひき。
2025/11/01
345ページ
p345 晋文公の楚成王に約せし退避三舎の故事。
2025/10/31
343ページ
2025/10/31
341ページ
p333-341 斉桓公諸邦の盟主となりぬる迄の遍歴。
2025/10/31
333ページ
p328-333 管鮑の交はり。
2025/10/31
322ページ
p322 鉄器の使用と云ふ生産道具の変革は農業と手工業との発展を促し、生産力の増加に伴ひて土地支配の方式も変じにき。井田制崩壊して新興の地主階級・農民階級出現し、奴隷制は封建制へと遷りにきとぞ。下部構造たる生産関係の発展に依りて、政治体制の如き上部構造変ずとする唯物史観の典型例ならむ。
2025/10/28
320ページ
2025/10/15
301ページ
2025/10/15
290ページ
p290 周代文化史の項に遷りて挿画の画風旧に復せり。何故にや周史の節に限りて画風古拙なる版画風になりぬる。
2025/10/14
289ページ
p282-289 昏主幽王の故事は狼少年の寓話そのものなれば斯かる類の訓話の天下遍在せるを知りぬ。
2025/10/14
281ページ
p281 毛公鼎の金文の伝ふる宣王像は明君なれど、転じて暗君となりにしは老耄の害にやありけむ。
2025/10/14
278ページ
p278 召公国人の暴動に際して周太子静を庇護し、身代はりに己が息子を差出しけりと。実に周室への忠義の厚きこと。
2025/10/14
276ページ
p275-276 周厲王の悪政下の言論取締に対しての召公の苦諫「民の口を防ぐは水を防ぐよりも甚し」。
2025/10/14
270ページ
p270 周穆王、大臣 祭公謀父「耀徳不観兵」の諫言を耳に容れず。
2025/10/14
266ページ
p266 成康之治。
2025/10/14
261ページ
p261 牧野の戦ひの敗戦による紂王の末路や、鹿台に火を放ちて焼死しけりとぞ、さながら仮作物語の如く劇的なる。
2025/10/13
250ページ
2025/10/13
241ページ
p241 天神を敬はず愚弄せし殷王武乙雷霆を被りし武乙射天の故事。
2025/10/11
219ページ
p219 紂王の諫臣ら:鄂侯・比干・箕子・微子・商容・祖尹
2025/10/11
213ページ
p213 殷代奴隷制の特徴として、殉死や人身御供ありと。記録に残れる犠牲者の数1万4197人と実数を示さるれば、残酷さにただ口噤む許りぞ。
2025/10/11
205ページ
p205 殷墟車馬坑より戦車出土せりとの由、当時既に戦車用ゐられしを知る。
2025/10/11
193ページ
p193 伊尹放太甲。
2025/10/11
191ページ
p191 殷湯解三面網。
2025/10/11
187ページ
p187 湯誓。
2025/10/11
181ページ
p181 伊尹の誕生譚は典型的なる「見るなのタブー」なるべし、旧約聖書ソドムの塩の柱の件りを想起しぬは。
2025/10/10
170ページ
2025/10/10
164ページ
2025/10/10
157ページ
p152 夏后桀が妹喜に溺愛する件りは余りにも妲己の故事に似たり。p154 中華王朝初の諫臣にや、関龍逢は。p155 武梁祠画像石。
2025/10/10
144ページ
p134 后羿代夏
p144 小康中興
2025/10/10
118ページ
p118 奴隷制社会であった夏に於いて、階級間の矛盾が政権を動揺せさせ、その間隙を商が突いたとぞ、この説明は多分にマルクス主義史観にや。
2025/10/06
116ページ
2025/10/06
107ページ
p105-107 この節の文字誕生前史は興味深い。半坡遺跡出土の骨器の彫刻符号は姜寨遺跡の物と同じものが含まれていたことより、符号には一定の規則があったことが窺い得るとの由。大汶口文化期の符号は殷代の甲骨文字に近い形状とぞ。
2025/10/06
101ページ
p101 新石器時代この頃最も多く飼育されていた家畜は豚とぞ。
p101 農耕の進歩と飼育業の拡大による食料供給の余裕の下で、農業を辞めて手工業に専念する人々が現れて分業が進んだと云う。
2025/10/05
98ページ
2025/10/05
96ページ
p96 舜の賢臣皋陶は唐土最古の司法官であり、法律は民のためにあり、人々の利益を守るものであると主張したと云う。春秋孟子の「民を貴しとなす」の学説に継承されたとぞ。
2025/10/05
91ページ
p91 許由洗耳
2025/10/05
84ページ
p84 鳳凰が現れたことより、少昊の御代には政治を禽鳥に司らせたと云う。四季は其々、燕子・伯勞・靑鳥 ・錦鷄が管理したとぞ。この四鳥の件りの出典は何ぞ。
2025/10/05
83ページ
pp82-83 黄帝軍は、夔鼓と雷獣の橛(撥)を以て雷鳴を轟かせ、蚩尤軍の戦意を喪失せさせ、是を以て勝利を得たりとぞ。
2025/10/05
80ページ
pp79-80 涿鹿の戦いに於いて、蚩尤の霧隠れに苦戦した黄帝は、家臣風后の作れる指南車によって窮地を脱したと云う。
2025/10/05
79ページ
p79 pp79-80 黄帝軍と蚩尤軍の涿鹿の戦いは神話大戦とも云うべき神々の戦いと云った観であり、攻守が目まぐるしく交替する戦況の推移に亢奮する。
2025/10/05
72ページ
pp71-72 男系社会の下で階層分化が進み、支配階級と非支配階級に分かれて、貴族階級は財産や奴隷を独占し、それを他聚落より奪うための戦いが行われていたと云う。ここに利害関係から部族聯盟が結成され国家の端緒となるとの由。一方で、母系社会の時点で環壕集落が成立していた点は興味深い。
2025/10/04
70ページ
p68 私有性は男系社会と共に発展したと埋葬品を根拠として語られる。
2025/10/04
66ページ
pp65-67 採取経済から農耕経済への移行の中で、男系社会へと変化し、夫婦の同居生活や、一夫一妻制の確立や、子孫への財産相続が行われるようになったと云う。
2025/10/04
53ページ
p53 半坡人の集落は環壕集落であり、他所との戦に備えていたらしい。本邦では弥生時代になり、身分制社会の到来となって、クニごとの争乱が勃発するようになったが、彼の地では身分格差は無いとされる原始共産制社会と並行して集団間の戦いが発生するようになったのだろうか。疑問の抱き所である。
2025/10/04
52ページ
pp50-52 原始共産制社会では全ての財産は共有であったと語られる。ここはタバロックの記事を読んでおかねばなるまい。https://econ101.jp/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%80%8C%E5%8E%9F%E5%A7%8B%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%88%B6%E3%81%AE%E7%A5%9E%E8%A9%B1-%E7%A7%81%E7%9A%84/
2025/10/04
50ページ
p50 新石器時代の母系氏族社会では、夫婦はそれぞれの出自の氏族集団の下で住み、夫は妻の集団に参加することはできなかったと云う。夜に夫が妻の許を訪ねるのみであったとの由。
2025/10/04
49ページ
p35 漢土に於いては、旧石器時代末期に骨針が発明されたことで、皮革や樹皮や木の葉を縫い合わせて服を作り得るようになったとの由。
p38 新石器時代に入った磁山・裴李崗文化では既に農耕が行われていたと云う。
p44 西安の半坡遺跡の陶鉢には20-30種類の記号が見られ、文字の起源の可能性があると。
p46 伝説によると、嘗て人類は鳥の巣に着想を得て、樹上に居を構えていた、これを有巣氏の時代と云うが、この旧石器時代の樹上生活より発展して新石器時代の高床式住居となったとの由。正直な所この件りは半信半疑である。
2025/10/04
20ページ
p19 「人類の体質の進化も、思想や言語の発生も、社会組織の発展もすべて労働と密接に関連している。」労働の意義を重んじたこの説明にはマルクス主義の影を見ざる得ない。
2025/10/04
13ページ
pp4-6 この件りには、日本神話の天地開闢や三貴神誕生への影響が見て取れる。
2025/10/04
2ページ
p2 漢土の歴史に於いて猿人の生活していた時代は旧石器時代にあたり、新石器時代初期中期は母系社会、後期は父系社会の時期にあたるとの由。
2025/10/04
1ページ
原書は、1991年に浙江省少年児童出版社より出版された、龔延明 編『絵画本 中国通史』シリーズである。体裁としては、王朝ごとに時代を区分して、各時代ごとに政治・経済・科学技術・文化・社会生活の5つに分けて叙述している。原書編者曰く、合わせれば通史となり、分ければ断代史となる、との由。
監修者の岡田英弘は、正史とは、皇帝支配の正当性の証明の歴史であり、民国以降を記していない本書も亦、皇帝の歴史を語る伝統的な正史に属すると評価する。
本書を見るに華人は『史記』の枠組みから脱していないとかや、華人にとって歴史とは政治に奉仕すべきものであって、その歴史は単純な事実の記録ではなく、政治的立場の主張であるなどと、岡田節が炸裂している。
諸書劄記
Lv.65
原書は、平成3年(1991)に浙江省少年児童出版社より出版せられた、龔延明 編『絵画本 中国通史』である。体裁としては、王朝毎に時代を区分して、各時代毎に政治・経済・科学技術・文化・社会生活の五つに分けて叙述してゐる。
原書編者曰く、合はせれば通史となり、分ければ断代史となる、との由。
監修者の岡田英弘は、正史とは、皇帝支配の正当性の証明の歴史であり、民国以降を記してゐない本書も亦、皇帝の歴史を語る伝統的な正史に属すると評価する。 本書を見るに、華人は『史記』の枠組みから脱してゐないとかや、華人にとって歴史とは政治に奉仕すべきものであって其歴史は単純な事実の記録ではなく政治的立場の主張であるなどと、岡田節が炸裂してゐる。