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晴天の迷いクジラ

晴天の迷いクジラ

窪 美澄

この本の所有者

(3.8)
13人が登録
71回参照
2012年4月4日に更新

書籍情報

著者:
窪 美澄
ページ数:
295ページ
参照数:
71回
登録日:
2012/04/04
更新日:
2012/04/04
所有者:
70 70さん

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内容紹介

壊れかけた三人が転がるように行きついた、その果ては?人生の転機に何度も読み返したくなる、感涙の物語。
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読書履歴

2012/04/04 295ページ

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そう、これは隣の家の物語でもおかしくない程、嫌に現実的なのだ。
一人は潰れそうな会社に尽くすあまり薬なしの生活には戻れなくなり、また自分の人間性を変えてくれた最愛の恋人に別れを告げられる。
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それがあるからこそその死に対して、涙することができる。可哀想に、と。
しかし本書の「死」はそんな感動を持ち合わせていない。ただ純粋なる「死」。自らを自らが殺すことで成立する「死」。
自身の生きる現実との境目が曖昧になったことに気付いた時、本書の読者は震えただろう。涙を流すことなく、冷汗が背中を伝ったことだろう。
恐らく、読者は三人の過去を物語った一から三章までで泣かなかったはずだ。可哀想という感情が表に出る余裕などないから。
しかし終章において、彼ら同士が痛みを分かち合えたり、鯨を見て騒いで楽しい日々を過ごせたり、気を遣わない人々と触れ合ったりしたことで彼ら三人が救われたと知った時、読者の瞳は潤んだのではないだろうか。
私はそうであった。
「死ぬなよ」の一言さえあれば彼らはこんなにも思い悩まなかったんだ。

彼らの結末は誰も知らない。
が、心の靄は少しは晴れたのではないか。晴れていてくれれば、それでいい。

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