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晴天の迷いクジラ

晴天の迷いクジラ

窪 美澄

この本の所有者

13人が登録
98回参照
2013年8月5日に更新

書籍情報

著者:
窪 美澄
ページ数:
295ページ
参照数:
98回
更新日:
2013/08/05

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📝 レビュー (あおみさんのレビュー)

評価:
4/5
レビュー:
異なる三つの事情から自殺を志願するに至った三人の葛藤と苦渋と涙を描く。
それぞれの過去を綴った物語は非常に重い。胸にのしかかるその暗さと辛さによる重みを感じつつも、我々は自分の生きる世界との、また自分の住む家庭との違いを言い訳にし、次のページを捲る。ひょんなことから、涙も枯れ果てるような彼らの生きた世界の住人になり得ることも知らずに。
そう、これは隣の家の物語でもおかしくない程、嫌に現実的なのだ。
一人は潰れそうな会社に尽くすあまり薬なしの生活には戻れなくなり、また自分の人間性を変えてくれた最愛の恋人に別れを告げられる。
もう一人はその会社の社長で、立て直そうと必死にもがくが実らない。そして、嫁ぎ先の重圧と嫌味と育児に耐えられず我が子をも捨てたという過去をもつ。
弱々しい由人と社長らしさを失った野々花が湾に迷い込んだ鯨を見てから死のうと決意し、現地に向かっていた途中で拾ったのが正子だった。
彼女は母親の過度な愛情による監視と束縛によってリストカット常習犯に成り果ててしまう。初めてできた友達も病気で失って「死」を決めた。

死について考えさせる本は世に溢れている。現に私も何冊か読んだことがある。しかし、それらはどこか幻想染みている。例えば癌、殺人、事故。そしてその死の近くには、勧善懲悪による報いや、恋人との涙の永遠の別れという物語性、所謂話の盛り上がりとあうものが必ず存在する。
それがあるからこそその死に対して、涙することができる。可哀想に、と。
しかし本書の「死」はそんな感動を持ち合わせていない。ただ純粋なる「死」。自らを自らが殺すことで成立する「死」。
自身の生きる現実との境目が曖昧になったことに気付いた時、本書の読者は震えただろう。涙を流すことなく、冷汗が背中を伝ったことだろう。
恐らく、読者は三人の過去を物語った一から三章までで泣かなかったはずだ。可哀想という感情が表に出る余裕などないから。
しかし終章において、彼ら同士が痛みを分かち合えたり、鯨を見て騒いで楽しい日々を過ごせたり、気を遣わない人々と触れ合ったりしたことで彼ら三人が救われたと知った時、読者の瞳は潤んだのではないだろうか。
私はそうであった。
「死ぬなよ」の一言さえあれば彼らはこんなにも思い悩まなかったんだ。

彼らの結末は誰も知らない。
が、心の靄は少しは晴れたのではないか。晴れていてくれれば、それでいい。

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