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フーコー入門 (ちくま新書)

フーコー入門 (ちくま新書)

中山 元

この本の所有者

5人が登録
2,192回参照
2009年4月13日に更新

書籍情報

著者:
中山 元
ページ数:
238ページ
参照数:
2,192回
登録日:
2008/11/26
更新日:
2009/04/13
所有者:
taka_aki taka_akiさん

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📝 レビュー (taka_akiさんのレビュー)

評価:
4/5
レビュー:
む、難しー。なんと言うか、哲学とか思想とかには縁遠いもので。つっても、少しはへーとかほーとかなった訳で。

巷では問いかけ三回なんて話もありますが、もう、そんなもんじゃなくて、10回でも20回でも問い続ける勢いなのです。例えば:

フーコーは、われわれの知の対象だけではなく、こうした知を可能にするわれわれ自身、すなわち知の<主体>が一つの歴史的な累積であることを強調した。このような問いかけを行うことができる<われわれ>とはだれか、「まさしくこの瞬間において」存在するこのわれわれとはだれか。この社会の中で生き、欲望を抱き、人々と関係を結んでいる<われわれ>とはだれか、あるいは社会で生き難く感じ、社会を変えてゆくにはどうすればよいかと模索する<われわれ>とはだれか。

んもー、もうお腹いっぱい。って、開始10ページ目ですが…。

あ、あと、この方の読書に対する考えもちょと共感。って、向こうからすればこっちはぺぺぺのぺーですが。

「空想的なものは、書物とランプの間に棲まう。幻想的なものはもはや心の中に宿るのではなく、自然の突飛な出来事の中にあるのでもない。それは知の正確さの中から汲みあげられてくるのであり、その富は文書の中で読まれるのを待っているのである。夢みるためには目を閉じていてはならない。読むことである。」

ほへー。他にも、

フーコーは読むことに対するこだわりを「われわれが知ることのない夜に向って傾げた顔」と表現…

って、なんて詩的なー。

この方、元々は医者を目指していたそうで。そして、そこで出会う前頭葉ロボトミー手術…。今度「カッコーの巣の上で」を観ようと思った次第。

とどのつまり、あまりに濃すぎて、自分の頭では半分も理解できませんでしたが、気になるところをメモするくらいはできるさと。

・人間の本質はデュミナス(潜勢態)からエネルゲイア(現勢態)へと
・医師軍の神話によると、僧侶が魂を癒すとすれば、医師は肉体を癒すのであり、医師は「肉体の僧侶」である。
・物の認識は、知の枠組み(エピスメーテー)によって規定される。
・ディスクール(言語表現、言説)、エノンセ(言表)、アルシーブ(古文書)、知
・エノンセは行為によって実際に語られた物を意味し、これがディスクールの単位となる。そしてさまざまなエノンセがある全体的なまとまりを作る場合に、そのまとまりをディスクールと呼ぶ。
・パノプティコン(一望監視装置)は第二の監視者を生む
・「啓蒙され尽くした大地は、勝ち誇った凶微に輝いている」
・人種差別を行う人は、個人と個人として向き合っているのではなく、一つの集団のある普遍性に基づいて、集団として差別するのである。

もう、頭から煙が出る勢い。。

読書履歴

2009/04/13 238ページ
2009/04/13 182ページ
2009/04/13 102ページ
2009/04/12 68ページ
2009/04/12 62ページ
2009/04/12 58ページ
2009/04/12 54ページ
2009/04/12 48ページ
2009/04/10 38ページ
2009/04/10 25ページ

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