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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫)

村上 春樹

4.7
40人が登録
3件のレビュー

みんなの評価

4.7
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2件
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レビュー

けい
けい
2011年7月読了
最高
ふたつの世界が交互に。
村上春樹さんは食べ物の描写うまい
あおみ
あおみ
2013年7月読了
上下巻から成る「心」の物語は、片や静かに、片や驚きを残して幕を閉じた。
そう、この作品は「心」の物語だと思う。
心があるからもどかしく、辛く、傷ついたり傷つけたりする。しかし、こうした不完全さによって感じられるものがあることを忘れてはならない。
それは、喜びであったり嬉しさであったり信頼、信用、時には涙を流すことのできない哀しみであったりする。

「世界の終わり」の世界では、街にいる誰もが心を失くしている。その世界ではまず影を剥ぎ取られ、影が心と記憶を所有する。しかし、影の命はそう長くない。影が死んだ時、影の持ち主は完全に心を失くしある意味において平和の世界の住人と化す。
「僕」の影はそんな使命に嫌気が指し、「僕」を誘って「世界の終わり」から逃げ出そうとするが、「僕」はその世界を作ったのが自分だと気付き、そんな完全で完結している哀しい世界を作ってしまったという自身の過ちの責任を感じ、滞在することを決意する。心を完全に失くすことのできなかった人間は暗い森に住まなければいけないことを知っているのに…。
それでも愛と責任を取ったのだ。図書館の女の子の心を取り戻したように、「僕」には森の中から大佐や門番といった街中の人間に影響を及ぼし、彼らにも「心」という不完全で曖昧な素晴らしさを伝えて欲しい。

物語的な話に移ると恐らく「世界の終わり」と「ハードボイルドワンダーランド」の時系列は後が先なのだろう。
「HW」で「私」はボブディランを聞きながら自身の脳の核の世界へと意識だけを取り込まれて行く。それは脳からの目線で言えば不死であるし、あるいは「HW」という現実世界から見れば死であるが、「私」はとにかく静かにその定めを受け入れた。抗っても仕方がない。
もし私の認識が正しくて「私」が「僕」なのだとしたら、「世界の終わり」から脱出しなかったのは余程に図書館の彼女を愛していたのだろう。夢読みによって彼女の心の断片を見たとき、もしかしたら「僕」は自分が「私」だったときの記憶を垣間見たのかもしれない。そう、「ハードボイルドワンダーランド」での。

本書はとにかく構成が緻密にできている。2つの世界を交互に展開するという至難の業を見事に成せているのも感服するに値するのだが、目を見張るのはこの空想の物語を現実的に表現しているところであると思う。
「HW」での「私」がシャフリングで26人中唯一生き残った訳。そして博士が3つ目の思考回路をインプットした理由。そしてその第三回路が第一、第二の回路を上回って働き出しているという避けられない現実。「私」と「太った娘」の地底での冒険劇。これらが見事に読者の想像力を掻き立てながら描かれて行く。
それが読んでいて楽しくて仕方がなかった。

この一冊はもしかしたら生涯忘れられない一冊になるかもしれない。
そう思いながら、沢山の本が佇む本棚へと仕舞うことにする。

読書ステータス

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