シリア縦断紀行 (2) (東洋文庫 (585))
この本の所有者
(5.0)
1人が登録
107回参照
2010年9月26日に更新
書籍情報
- ページ数:
-
263ページ
- 参照数:
- 107回
- 登録日:
- 2010/09/26
- 更新日:
- 2010/09/26
- 所有者:
-
northeast57さん
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📝 レビュー (northeast57さんのレビュー)
評価:
5/5
レビュー:
英国人女性G.L.ベル(1868-1926)による、1905年春の、エルサレムからアレクサンドレッタ(現トルコ領イスケンデルン)までの、2ヶ月余り、千数百キロに亘る単身の(!!)旅の記録である。
ベルは、後にイラク建国に深くかかわるなど中東で活躍したことから「アラビアのロレンスの女性版」とも呼ばれる(ベルの方が20歳年長であり、先に活躍していたので、ロレンスが「ベルの男性版」と言った方が正確)。
当時のベルの関心は考古学にあり、旅のルートも各地の古代遺跡を巡ることから決められたようであるが、本書の面白味は考古学にあるのではない。
本書の魅力は、ベルが、シリアの自然や出会った人々を、あたかも「馬の首にビデオカメラをとりつけてでもいたかのように」(訳者後記)生き生きと記録していることにある。
自然や気候の描写も良いが、特に、遊牧民の族長のテントに招かれての会話や旅を同道する雇用人との会話からは、部族間の関係や複雑な宗教事情(イスラム教徒やキリスト教徒、イスラム教徒の中でも少数宗派がある)といった、生の中東の姿が現れていて興味深い。
また、非常に驚かされたことの第一は、辺境の遊牧民たちが、著者との会話の話題に、再三日露戦争を取り上げることである。彼らは戦争のゆくえに高い関心を持つとともに、日本に対するあこがれとも言えるほどのシンパシーを抱いている。第二は、当時遺跡の調査をしている日本人がいたと著者が述べていることである。
著者の中東観は、明らかにイギリス帝国主義の中東観の下にある。しかしそれを割り引いても、本書は中東に関する第一級の旅行記である。
ベルは、後にイラク建国に深くかかわるなど中東で活躍したことから「アラビアのロレンスの女性版」とも呼ばれる(ベルの方が20歳年長であり、先に活躍していたので、ロレンスが「ベルの男性版」と言った方が正確)。
当時のベルの関心は考古学にあり、旅のルートも各地の古代遺跡を巡ることから決められたようであるが、本書の面白味は考古学にあるのではない。
本書の魅力は、ベルが、シリアの自然や出会った人々を、あたかも「馬の首にビデオカメラをとりつけてでもいたかのように」(訳者後記)生き生きと記録していることにある。
自然や気候の描写も良いが、特に、遊牧民の族長のテントに招かれての会話や旅を同道する雇用人との会話からは、部族間の関係や複雑な宗教事情(イスラム教徒やキリスト教徒、イスラム教徒の中でも少数宗派がある)といった、生の中東の姿が現れていて興味深い。
また、非常に驚かされたことの第一は、辺境の遊牧民たちが、著者との会話の話題に、再三日露戦争を取り上げることである。彼らは戦争のゆくえに高い関心を持つとともに、日本に対するあこがれとも言えるほどのシンパシーを抱いている。第二は、当時遺跡の調査をしている日本人がいたと著者が述べていることである。
著者の中東観は、明らかにイギリス帝国主義の中東観の下にある。しかしそれを割り引いても、本書は中東に関する第一級の旅行記である。
northeast57
Lv.124
英国人女性G.L.ベル(1868-1926)による、1905年春の、エルサレムからアレクサンドレッタ(現トルコ領イスケンデルン)までの、2ヶ月余り、千数百キロに亘る単身の(!!)旅の記録である。
ベルは、後にイラク建国に深くかかわるなど中東で活躍したことから「アラビアのロレンスの女性版」とも呼ばれる(ベルの方が20歳年長であり、先に活躍していたので、ロレンスが「ベルの男性版」と言った方が正確)。
当時のベルの関心は考古学にあり、旅のルートも各地の古代遺跡を巡ることから決められたようであるが、本書の面白味は考古学にあるのではない。
本書の魅力は、ベルが、シリアの自然や出会った人々を、あたかも「馬の首にビデオカメラをとりつけてでもいたかのように」(訳者後記)生き生きと記録していることにある。
自然や気候の描写も良いが、特に、遊牧民の族長のテントに招かれての会話や旅を同道する雇用人との会話からは、部族間の関係や複雑な宗教事情(イスラム教徒やキリスト教徒、イスラム教徒の中でも少数宗派がある)といった、生の中東の姿が現れていて興味深い。
また、非常に驚かされたことの第一は、辺境の遊牧民たちが、著者との会話の話題に、再三日露戦争を取り上げることである。彼らは戦争のゆくえに高い関心を持つとともに、日本に対するあこがれとも言えるほどのシンパシーを抱いている。第二は、当時遺跡の調査をしている日本人がいたと著者が述べていることである。
著者の中東観は、明らかにイギリス帝国主義の中東観の下にある。しかしそれを割り引いても、本書は中東に関する第一級の旅行記である。