みんなの評価
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1
レビュー
◽️雑感
本書は、米国にてはWOKEと、本邦にてはポリコレと称せらるる急進左派の社会運動の理論的背景を、其難解極まる思想の数々より分析・整理し、彼等の基ける〈理論〉の(批判的視点より思想内容を紹介する)便覧を提供する。急進左派活動家は何如なる理論武装を以て、自らの主張の正義なるを説くかを、晦渋なる人文書を繙かずとも易解し得る待望の書なり。
人文社会科学の学際的傾向もあり、全貌の把握が甚だ困難であった彼等の〈理論〉を、ポストモダニズムの変種である「応用ポストモダニズム」と命名し、〈理論〉とは何如なる者かを、要素毎に定義づけたことに此書の意義があると言へよう。
「応用ポストモダニズム」〈理論〉は、蛸壺的に細分化した学術界の境界を越江て、人文科学・社会科学(社会学・人類学・心理学など)・教育・法学・福祉と云った専門分野に深く浸透し、活動家やメディアを通じて文化一般にも広く取入れられてゐる。多くの学者が此〈理論〉を無自覚に内面化し、自らの研究に適用してゐると著者等は指摘する。
既に左翼活動家は、「応用ポストモダニズム」〈理論〉は、社会を捉ふる視座の一つであると云ふ留保を撤し、〈理論〉は社会を説明する真理であると看做し始めてをり、彼等の活動の故に現実社会の側が〈理論〉の影響を受け始めてゐる現況を、著者等は「物象化ポストモダニズム」であるとする。
左派の中より、自らが擁護してゐたリベラリズムの諸原則を抛棄し始めた勢力が現れたと云ふ事実は、保守対リベラルと云ふ二分法的なる政治党派の理解に訂正を迫るだらう。
本書は、「社会正義」の〈理論〉が有毒且つ有害であると示し、其に対抗する為に、人種差別や性差別を社会問題として認識しつつも、其解決には「批判的人種理論」や「クィア理論」といった応用ポストモダニズムの〈理論〉に依るアプローチではなく、厳密な分析・普遍的な人権・個人の自由・共感と公平さに基づけるリベラルなる手法こそ最も有効であると主張する。限定的には〈理論〉の有意義なるをも認むる其姿勢に誰がリベラリズムの公平・寛容の精神の精華を目にしないと言ひ得るか。
著者の一人、J. リンゼイは、本書出版の後に右派陰謀論者に転じたと見られてゐる。本書にては、「応用ポストモダニズム」の起源を、フラクフルト学派の「批判理論」に求むることは誤りであると記してゐたが、方今彼は一般に陰謀論と看做さるる「文化マルクス主義」論を主張してゐる。本書に批判的なる左派の輩は、現在のリンゼイが陰謀論者であるを以て、本書を貶めむと図るが、彼等が此書を一読したとは思ひ難い。本書は、共同著者プラックローズがリベラリストであることもありて、穏健にリベラリズムの効用を説く姿勢を取ってをり、物議を醸す主張はいづくにも存せぬ。批判者等の論法は人身攻撃に外なるまい。
◽️不正確なる大要
本書は、現代の文化戦争の核心にある「社会正義」研究(以下著者等は括弧書の〈理論〉と称ぶ)の思想的源流と影響とを、其批判的視点から解明せむとするものである。著者等の目的は、此思想がリベラリズムの価値観を攻撃し、真の社会正義の実現を妨げてゐると主張し、普遍的なるリベラリズムに基づける対抗策を提案することにある。
〈理論〉の濫觴は、1960年代に勃興したポストモダニズムに遡る。ポストモダニズムは、①客観的智識や真実の獲得に対する急進的なる懐疑主義と文化構築主義への傾倒(智の原理)と、及び②社会は権力体系とヒエラルキーとに依り構成せられ、智識も其に左右せられると云ふ考へ(政治の原理)を中核とせり。ポストモダニズムは、啓蒙主義的なる客観的智識や普遍的真実、理性の力を否定した。
1980年代末から90年代初頭にかけて、ポストモダニズムは、実践的にして政治的なる目標を持つ「応用ポストモダニズム」へと変異した。此応用ポストモダニズムの〈理論〉は、系統的なる抑圧を客観的な事実と看做し、〈社会正義〉と云ふイデオロギーに沿うて社会を再構築せむとすることを目指す。ポストコロニアル〈理論〉、批判的人種〈理論〉(CRT)、クイア〈理論〉、フェミニズム、ジェンダー・スタディーズ、障害学などが応用ポストモダニズム〈理論〉の主要なる分派である。
是等の〈理論〉は、ポストモダニズムの四つの主要な主題(①境界の曖昧化・②言語の権力・③文化相対主義・④集団アイデンティティ重視)を引継ぎ、殊に言語や言説の権力に注目する。彼等は、権力と特権とは狡猾なる形で社会全体に浸透し、言説に依て維持・正当化せられてゐると看做す(被害妄想的・陰謀論的世界観)。
又、〈理論〉は、客観的智識や理性・リベラリズム的普遍主義を拒絶し、アイデンティティ(集団の「立場性」)こそ智識の源泉であると主張する。智識は社会的立場に依て「位置づけられてゐる」(スタンドポイント理論)故に、周縁化せられた集団の「生きた経験」や文化・霊的智識を優先し、科学的・実証的なる手法を「抑圧的」として否定する。
此思想は学術界を超江て社会に浸透し、企業や機関内で「多様性・平等性・包摂性(DEI)担当者」と云った役職を通じて実行せられ、キャンセル・カルチャーの基盤となってゐる。〈理論〉に対する批判的意見や異論は、「人種差別的」「特権温存」などとして排除せられ、議論の自由が脅かされてゐる。
著者は、リベラリズムが齎した驚異的なる社会進歩(女性の権利・人種平等など)を顧みず、普遍主義や理性を拒否する〈理論〉の姿勢が、社会を分断し、真の社会正義実現の妨げになってゐると批判する。而て、斯く非リベラルなる潮流に対抗せむ為には、J.S.ミルの主張する議論の自由と、客観的なる真実の追求を可能にするリベラリズム的原則及び厳格なる実証主義に立戻るべきと結論づけてゐる。
〈理論〉の信奉者達は、理性・誤りの指摘・反証・異論を積極的に敵視する信仰の伝統を形成してをり、新興宗教を生み出したと本書は結論づけてゐる。是に対して著者は、リベラリズムの、多様なる視点を歓迎しつつも、全ての視点を等しく尊重する訣ではなく、対話と議論とを通じてより良いアイデアが最終的に勝利すると云ふ姿勢や、理性と証拠とに基づける対話と漸進的な改革とを重んずる態度こそが、社会進歩を可能にする唯一の方法であると主張してゐる。
本書は、米国にてはWOKEと、本邦にてはポリコレと称せらるる急進左派の社会運動の理論的背景を、其難解極まる思想の数々より分析・整理し、彼等の基ける〈理論〉の(批判的視点より思想内容を紹介する)便覧を提供する。急進左派活動家は何如なる理論武装を以て、自らの主張の正義なるを説くかを、晦渋なる人文書を繙かずとも易解し得る待望の書なり。
人文社会科学の学際的傾向もあり、全貌の把握が甚だ困難であった彼等の〈理論〉を、ポストモダニズムの変種である「応用ポストモダニズム」と命名し、〈理論〉とは何如なる者かを、要素毎に定義づけたことに此書の意義があると言へよう。
「応用ポストモダニズム」〈理論〉は、蛸壺的に細分化した学術界の境界を越江て、人文科学・社会科学(社会学・人類学・心理学など)・教育・法学・福祉と云った専門分野に深く浸透し、活動家やメディアを通じて文化一般にも広く取入れられてゐる。多くの学者が此〈理論〉を無自覚に内面化し、自らの研究に適用してゐると著者等は指摘する。
既に左翼活動家は、「応用ポストモダニズム」〈理論〉は、社会を捉ふる視座の一つであると云ふ留保を撤し、〈理論〉は社会を説明する真理であると看做し始めてをり、彼等の活動の故に現実社会の側が〈理論〉の影響を受け始めてゐる現況を、著者等は「物象化ポストモダニズム」であるとする。
左派の中より、自らが擁護してゐたリベラリズムの諸原則を抛棄し始めた勢力が現れたと云ふ事実は、保守対リベラルと云ふ二分法的なる政治党派の理解に訂正を迫るだらう。
本書は、「社会正義」の〈理論〉が有毒且つ有害であると示し、其に対抗する為に、人種差別や性差別を社会問題として認識しつつも、其解決には「批判的人種理論」や「クィア理論」といった応用ポストモダニズムの〈理論〉に依るアプローチではなく、厳密な分析・普遍的な人権・個人の自由・共感と公平さに基づけるリベラルなる手法こそ最も有効であると主張する。限定的には〈理論〉の有意義なるをも認むる其姿勢に誰がリベラリズムの公平・寛容の精神の精華を目にしないと言ひ得るか。
著者の一人、J. リンゼイは、本書出版の後に右派陰謀論者に転じたと見られてゐる。本書にては、「応用ポストモダニズム」の起源を、フラクフルト学派の「批判理論」に求むることは誤りであると記してゐたが、方今彼は一般に陰謀論と看做さるる「文化マルクス主義」論を主張してゐる。本書に批判的なる左派の輩は、現在のリンゼイが陰謀論者であるを以て、本書を貶めむと図るが、彼等が此書を一読したとは思ひ難い。本書は、共同著者プラックローズがリベラリストであることもありて、穏健にリベラリズムの効用を説く姿勢を取ってをり、物議を醸す主張はいづくにも存せぬ。批判者等の論法は人身攻撃に外なるまい。
◽️不正確なる大要
本書は、現代の文化戦争の核心にある「社会正義」研究(以下著者等は括弧書の〈理論〉と称ぶ)の思想的源流と影響とを、其批判的視点から解明せむとするものである。著者等の目的は、此思想がリベラリズムの価値観を攻撃し、真の社会正義の実現を妨げてゐると主張し、普遍的なるリベラリズムに基づける対抗策を提案することにある。
〈理論〉の濫觴は、1960年代に勃興したポストモダニズムに遡る。ポストモダニズムは、①客観的智識や真実の獲得に対する急進的なる懐疑主義と文化構築主義への傾倒(智の原理)と、及び②社会は権力体系とヒエラルキーとに依り構成せられ、智識も其に左右せられると云ふ考へ(政治の原理)を中核とせり。ポストモダニズムは、啓蒙主義的なる客観的智識や普遍的真実、理性の力を否定した。
1980年代末から90年代初頭にかけて、ポストモダニズムは、実践的にして政治的なる目標を持つ「応用ポストモダニズム」へと変異した。此応用ポストモダニズムの〈理論〉は、系統的なる抑圧を客観的な事実と看做し、〈社会正義〉と云ふイデオロギーに沿うて社会を再構築せむとすることを目指す。ポストコロニアル〈理論〉、批判的人種〈理論〉(CRT)、クイア〈理論〉、フェミニズム、ジェンダー・スタディーズ、障害学などが応用ポストモダニズム〈理論〉の主要なる分派である。
是等の〈理論〉は、ポストモダニズムの四つの主要な主題(①境界の曖昧化・②言語の権力・③文化相対主義・④集団アイデンティティ重視)を引継ぎ、殊に言語や言説の権力に注目する。彼等は、権力と特権とは狡猾なる形で社会全体に浸透し、言説に依て維持・正当化せられてゐると看做す(被害妄想的・陰謀論的世界観)。
又、〈理論〉は、客観的智識や理性・リベラリズム的普遍主義を拒絶し、アイデンティティ(集団の「立場性」)こそ智識の源泉であると主張する。智識は社会的立場に依て「位置づけられてゐる」(スタンドポイント理論)故に、周縁化せられた集団の「生きた経験」や文化・霊的智識を優先し、科学的・実証的なる手法を「抑圧的」として否定する。
此思想は学術界を超江て社会に浸透し、企業や機関内で「多様性・平等性・包摂性(DEI)担当者」と云った役職を通じて実行せられ、キャンセル・カルチャーの基盤となってゐる。〈理論〉に対する批判的意見や異論は、「人種差別的」「特権温存」などとして排除せられ、議論の自由が脅かされてゐる。
著者は、リベラリズムが齎した驚異的なる社会進歩(女性の権利・人種平等など)を顧みず、普遍主義や理性を拒否する〈理論〉の姿勢が、社会を分断し、真の社会正義実現の妨げになってゐると批判する。而て、斯く非リベラルなる潮流に対抗せむ為には、J.S.ミルの主張する議論の自由と、客観的なる真実の追求を可能にするリベラリズム的原則及び厳格なる実証主義に立戻るべきと結論づけてゐる。
〈理論〉の信奉者達は、理性・誤りの指摘・反証・異論を積極的に敵視する信仰の伝統を形成してをり、新興宗教を生み出したと本書は結論づけてゐる。是に対して著者は、リベラリズムの、多様なる視点を歓迎しつつも、全ての視点を等しく尊重する訣ではなく、対話と議論とを通じてより良いアイデアが最終的に勝利すると云ふ姿勢や、理性と証拠とに基づける対話と漸進的な改革とを重んずる態度こそが、社会進歩を可能にする唯一の方法であると主張してゐる。