📝 レビュー (餼羊軒さんのレビュー)
選挙に代はる民意調達の方法として「職能代表制」の模索がなされ、内閣審議会として一時実現した由は興味深い。社会格差是正を図る社会民主主義者等も、之を推進していたが、実現した内閣審議会に席は充がはれず、財閥が其座に坐ったと。「広義国防」の名の下に陸軍統制派や新官僚との連携を捜る姿には当時の党勢の厳しさを感ぜられる。
◽️不正確なる大要
本書は近代日本政治史の書にして、明治維新より日華事変勃発迄の日本近代史を、「階級」と「政治」の関係、殊に「政治的平等」と「社会的(経済的)不平等」の捩れを焦点に分析してゐる。
明治維新は、士農工商の「士」の特権を廃止した大社会革命であり、秩禄処分(家禄支給の廃止)は身分に依る格差を金銭的な格差に変へた。然し、地租改正は農民間に格差を固定化せさせ、富裕な農村地主の小作料収入を保障した。初期議会(1890年開設)は、士族と地主からなる約80万〜90万人の有権者に依って支へられ、地主層の要求する「政費節減・民力休養」(小政府論)を掲ぐる民党(自由党など)と、富国強兵(大政府論)を掲ぐる藩閥政府が対立した。日清戦争の勝利と賠償金は富国強兵の財源となり、地主層も米価高騰で実質的な税負担が軽減した故に、政党指導部は積極財政へと転換し、藩閥との協調(万年与党化)が進んだ。
大正時代には、地主基盤の政党支配(政友会)を批判し、都市民衆を基盤とする普通選挙制(普選)を求める声が高まった。1925年に男子普選が実現し、労働者や小作農も政治的平等を獲得したが、同時に制定された治安維持法は、「私有財産制度の否認」を目的とする結社を厳罰に処し、普選の精神である社会的平等の実現を阻害した。
世界大恐慌下、健全財政(緊縮)を志向した民政党内閣(浜口雄幸・若槻礼次郎)は、金本位制への復帰を断行し、失業と農村窮乏とを招いた。此結果、既成政党への不満が高まり、青年将校(海軍・陸軍)が政党政治を財閥と結びついた腐敗勢力と看做して反体制化し、五・一五事件(1932年)に依り政党内閣は崩壊した。
五・一五事件後、「挙国一致」内閣が続いた時代、軍部や新官僚は、議会政治を回避する為に、財界代表を含む職能代表制的なる国家機関(内閣審議会等)を模索した。此動静は、社会的弱者の代表を排除し、財閥の影響力を増大させた為に、社会民主主義勢力(社会大衆党)の期待は裏切られた。
然し、1937年4月の総選挙では、軍拡を批判し、格差是正を含む「広義国防」を訴へた社会大衆党が躍進し、「政治的平等」が「社会的平等」の実現に向かふ道が開かれつつあった。だが、直後に日中戦争が勃発し、此民主化の芽は圧殺された。
武士階級の廃止には46年、上層農民の政治支配には26年、「大正デモクラシー」(普通選挙制)の実現には20年を要した。而して、1925年に成立した「政治的平等」が、「社会的平等」或いは「格差の是正」へと発展し始めたのは、僅か12年後の1937年の総選挙に於いてであった。 著者は、この流れが「総力戦」や「総力戦体制」の有無に拘らず、時代を動かしてゆく不可逆的なものであったと主張し、従来の歴史研究で「総力戦体制」が「社会的平等」を齎したと云ふ肯定的評価があることに対し、批判的な立場を取る。戦争に依る「平等」の実現は「目の錯覚」であるとし、平和と自由の下にこそ平等が追求せられるべきとする。
読書履歴
AIが見つけた似た本
「“階級”の日本近代史」の文章スタイル、テーマ、内容を分析し、 類似度の高い本を10冊見つけました
三色ボールペンで読む日本語 (角川文庫)
斎藤 孝
青で「まあ大事」、赤で「すごく大事」、緑で「おもしろい」。三色ボールペンで色分けしながら文章に向き合うことは、シンプル且つ誰にでもできる読書法。最も簡単な、脳を鍛えるトレーニングツールだ。カチカチとボ...
おめでたい日本人に教える虐殺の歴史
小滝 透
タブーを紐解けば真実が見えてくる。原爆投下、宗教戦争、共産主義、ナチス、ポルポト、アルカーイダ...気鋭の歴史家が数々の殺戮の軌跡をなぞり、人から人へ、連綿と受け継がれる「人殺しの原理」を読み解く異色...
失敗学のすすめ (講談社文庫)
畑村 洋太郎
恥や減点の対象ではなく、肯定的に利用することが、失敗を生かすコツ。個人の成長も組織の発展も、失敗とのつきあい方で大きく違う。さらに新たな創造のヒントになり、大きな事故を未然に防ぐ方法も示される―。「失...
コミュニケーション力 (岩波新書)
斎藤 孝
豊かな会話、クリエイティブな議論は、どのようにして成り立つのか。話の流れをつかむ「文脈力」や基盤としての身体の重要性を強調しつつ、生きいきとしたコミュニケーションの可能性を考える。メモとマッピング、頷...
生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)
福岡 伸一
生きているとはどういうことか―謎を解くカギはジグソーパズルにある!?分子生物学がたどりついた地平を平易に明かし、目に映る景色をガラリと変える。
◽️雑感
選挙に代はる民意調達の方法として「職能代表制」の模索がなされ、内閣審議会として一時実現した由は興味深い。社会格差是正を図る社会民主主義者等も、之を推進していたが、実現した内閣審議会に席は充がはれず、財閥が其座に坐ったと。「広義国防」の名の下に陸軍統制派や新官僚との連携を捜る姿には当時の党勢の厳しさを感ぜられる。
◽️不正確なる大要
本書は近代日本政治史の書にして、明治維新より日華事変勃発迄の日本近代史を、「階級」と「政治」の関係、殊に「政治的平等」と「社会的(経済的)不平等」の捩れを焦点に分析してゐる。
明治維新は、士農工商の「士」の特権を廃止した大社会革命であり、秩禄処分(家禄支給の廃止)は身分に依る格差を金銭的な格差に変へた。然し、地租改正は農民間に格差を固定化せさせ、富裕な農村地主の小作料収入を保障した。初期議会(1890年開設)は、士族と地主からなる約80万〜90万人の有権者に依って支へられ、地主層の要求する「政費節減・民力休養」(小政府論)を掲ぐる民党(自由党など)と、富国強兵(大政府論)を掲ぐる藩閥政府が対立した。日清戦争の勝利と賠償金は富国強兵の財源となり、地主層も米価高騰で実質的な税負担が軽減した故に、政党指導部は積極財政へと転換し、藩閥との協調(万年与党化)が進んだ。
大正時代には、地主基盤の政党支配(政友会)を批判し、都市民衆を基盤とする普通選挙制(普選)を求める声が高まった。1925年に男子普選が実現し、労働者や小作農も政治的平等を獲得したが、同時に制定された治安維持法は、「私有財産制度の否認」を目的とする結社を厳罰に処し、普選の精神である社会的平等の実現を阻害した。
世界大恐慌下、健全財政(緊縮)を志向した民政党内閣(浜口雄幸・若槻礼次郎)は、金本位制への復帰を断行し、失業と農村窮乏とを招いた。此結果、既成政党への不満が高まり、青年将校(海軍・陸軍)が政党政治を財閥と結びついた腐敗勢力と看做して反体制化し、五・一五事件(1932年)に依り政党内閣は崩壊した。
五・一五事件後、「挙国一致」内閣が続いた時代、軍部や新官僚は、議会政治を回避する為に、財界代表を含む職能代表制的なる国家機関(内閣審議会等)を模索した。此動静は、社会的弱者の代表を排除し、財閥の影響力を増大させた為に、社会民主主義勢力(社会大衆党)の期待は裏切られた。
然し、1937年4月の総選挙では、軍拡を批判し、格差是正を含む「広義国防」を訴へた社会大衆党が躍進し、「政治的平等」が「社会的平等」の実現に向かふ道が開かれつつあった。だが、直後に日中戦争が勃発し、此民主化の芽は圧殺された。
武士階級の廃止には46年、上層農民の政治支配には26年、「大正デモクラシー」(普通選挙制)の実現には20年を要した。而して、1925年に成立した「政治的平等」が、「社会的平等」或いは「格差の是正」へと発展し始めたのは、僅か12年後の1937年の総選挙に於いてであった。 著者は、この流れが「総力戦」や「総力戦体制」の有無に拘らず、時代を動かしてゆく不可逆的なものであったと主張し、従来の歴史研究で「総力戦体制」が「社会的平等」を齎したと云ふ肯定的評価があることに対し、批判的な立場を取る。戦争に依る「平等」の実現は「目の錯覚」であるとし、平和と自由の下にこそ平等が追求せられるべきとする。