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純粋理性批判〈3〉 (光文社古典新訳文庫)

純粋理性批判〈3〉 (光文社古典新訳文庫)

イマヌエル カント

この本の所有者

2人が登録
494回参照
2011年5月4日に更新

書籍情報

ページ数:
541ページ
参照数:
494回
登録日:
2010/11/27
更新日:
2011/05/04

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📝 レビュー (H. Tarkunさんのレビュー)

レビュー:
叡智的存在(スーメノン)が消極的に理性の限界を示すものであるという点は面白い。

例えば、量子論では物質を構成する粒子は波で、存在場所は確率的に示されるという。では、例えば、我々自身も物質であるが、我々がそのような実在を想像できないものによって構成されていると理解できるだろうか?理性が論理的に考える事はできても、感覚的にその実体を想像する事はできないのではないか。

つまり、理性が論理によって考えているのは単に現象を理解する分析的説明でしかなく、「構成粒子」そのものの実在を示すものではないと。カントの言いたいのはそう言う事ではないかと考えてみた。

カントの哲学は、相対論、量子論で古びたという指摘もあるみたいだが、むしろ、カントは量子論のような世界を予言していた、少なくともその可能性を否定していなかったのではないか? その辺りの議論に付いても調べてみたくなった。

読書履歴

2011/05/04 541ページ
2011/05/04 255ページ 叡智的な存在(スーメノン)の話:感性と理性を分離しようとしても困難。スーメノンは理性の限界を消極的に示す
2011/05/04 254ページ 叡智的な存在()
2011/05/03 236ページ 純粋知性概念は決して超越論的に使用される事はできず、つねに経験的に...
2011/05/01 220ページ アプリオリな総合認識が可能となるには経験が示す関係だけに依拠
2011/05/01 175ページ 相互性が、同時存在について経験的な関係成立の必要条件と
2011/04/30 160ページ ある状態が別の状態へ継起することを知覚する事のみで、時間の規定が可能
2011/04/29 106ページ 「経験は、知覚の必然的な結合の観念だけによって可能となる」
2011/04/25 99ページ 「直感の公理」「知覚の先取り」の話。なんだか物理の「場」の話を思い起こす。空虚な時空は経験からは不明
2011/04/21 66ページ

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